注目記事


<日本の母の日起源>

<アメリカの母の日>

<母の日イベント関連>

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<母の日の起源に関する記事>


1950(昭和25)年5月13日 読売新聞

 日本では1912年(明治45年)全国のキリスト教会の行事として「母の日」が初めて記念されましたが、昭和の初め教会から街頭に新種移し、一般にも広がってついに昨年から恒例行事となった


1955(昭和30)年5月2日 読売新聞

 今週のプラン

 1914年アメリカの議会を通過して以来、5月の第2日曜日を母の日として、亡き母を追悼することから一歩進め、生きているお母さんに感謝の気持ちを捧げる世界的な行事が発足したもので、わが国では大正2年から全国キリスト教会の礼拝と、日曜学校で行われてきた。母性愛を表すカーネーションの赤い花は母が健在なる人、母が亡くなられた人は白い花を胸に飾り、互いに喜び合い慰めあいするばかりでなく、東京では母の日大会が開かれ、全国の日曜学校ではお母さまを招待して母をたたえる催しをすることになっている。


1959(昭和34)年5月10日 読売新聞

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「母の日」は1937年(昭和12年)に日本で初めて森永製菓が提唱し・・・
 今年で22回目を迎えましたこの記念行事は年々盛大となり現在では全国的にまで成長しました


1959(昭和34)年5月10日 毎日新聞

 「母の日」は1937年(昭和12年)に日本で初めて森永製菓が提唱し今年で第22回目を迎えましたこの記念行事は年々盛大となり現在では全国的にまで成長しました


1963(昭和38)年5月11日 毎日新聞

 日本に母の日が伝わったのは、1915年(大正4年)。当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により紹介され、婦人矯風会などキリスト教関係の団体が中心になってこれを広めました。
 特に、盛んになったのは戦後で、全国未亡人団体協議会が未亡人会や母子寮の授産所で作った赤、白のカーネーションを全国に売りさばいて資金を作り、全国的に行事を行うようになってからです。しかし母のある子は赤、ない子は白、とカーネーションに区別を付けることは「童心を傷つける」という声も多く、特に義母に育てられた子は「どちらをつけたらよいか迷う」場合もあり、三年前から全未協では赤一色に統一しています


1983(昭和58)年5月8日 朝日新聞

 大正期にキリスト教婦人団体の手で我が国に伝わり、昭和になって皇后誕生日の三月六日とされた。敗戦後は米国に習って五月の第二日曜日になった。


1992(平成4)年5月9日 朝日新聞

 大正期にわが国に伝わった。昭和には入り日付は皇后誕生日の3月6日とされたが、戦後に本家に合わせた。


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<アメリカの母の日に関する記事


1952(昭和27)年5月8日 読売新聞

 アンナ・ジャルビスの父は牧師だった


1956(昭和31)年5月12日 読売新聞夕刊

 よい子の社会科

 アメリカのウェブスターという小さな町の子供たちは、日曜日になると嬉しそうに教会に集まりました。教会では、日曜学校を開いていて、優しいお母さんのようなジャービス先生がいたからです。
 ところが、そのジャービス先生が、急に病気でなくなってしまいました。悲しみにつつまれた子供たちは、いつかこんな相談をまとめていました。
 「先生の亡くなった日には教会へ集まって先生のお話をしよう」「そのときは、先生のお嬢さんのアンナさんをお呼びしよう」
 やがて、先生の命日が来たとき、子供たちは、みんな教会に集まってきました。そのときアンナさんは、ま白いカーネーションの花たばをかかえ、亡くなったお母さんに捧げたのでした。
 この話が次第に広まって、お母さんにお礼をいう日を作ろう、ということになり、1908年にアメリカのシアトル市で初めて母の日が開かれたのでした。そののち、母の日は正式にアメリカの国会で、5月の第2日曜日と決まりました。母の日とは違って、国会では決められませんでしたが、6月には父の日というものがあって、アメリカのこよみには6月の第3日曜日に父の日と書かれています。


1986(昭和61)年5月13日 朝日新聞

 カーネーションが母の日に選ばれたのは、この花が母性愛の象徴とされているからだ。十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙の後に生じた花という言い伝えがある。また、中央部の赤はキリストの体から散った血の色ともいわれる。古代ギリシャ人が、オリンパス山の神々の主神ゼウスに捧げたとも伝えられるように、この花は昔、花冠を作るのに欠かせなかったところから花冠、花輪を意味するラテン語CORONAにちなんでCARNATIONと名付けられたという。
 アメリカでは、小学生は2日前の金曜日にこの日を学校で祝い、当日は、母親に贈り物をする場合もある。


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<母の日のイベントに関する記事>


1949(昭和24)年5月7日 読売新聞

 今年は昨年日本社会事業会館の中に発足した「母の日中央協議会」が盛大にカーネーションを一本十円で売る


1951(昭和26)年5月13日 朝日新聞

 15婦人団体では、午後一時半を期して中央大学講堂をはじめ全国一斉に”母と平和の集い”を開き、平和のメッセージを世界の婦人団体に発送する。郵政省は、カーネーションと「お母さんありがとう」を印刷した官製はがきを7万枚、郵便ともの会でも私製はがき10万枚を作り、母への感謝の頼りにする。


1952(昭和27)年5月11日 毎日新聞

 戦前には、皇后誕生日である地久節に、母をたたえる行事が行われたことがあったが、これは当時の社会風刺を反映して、封建的な色彩が強いものであった。母親の日々の生活:労働省婦人少年局の調査によると、日本の母は、一日のうち平均10時間16分を炊事、裁縫、育児、買い物、掃除、洗濯のために使っている。平均7時間半の睡眠時間を考えれば、教養や娯楽に使われる時間は、平均1時間もあるかないかである。


1956(昭和31)年5月13日 毎日新聞

 日本ではもっぱら造花のカーネーションであるこの造花は「母の日中央協議会」が一手に販売を引き受けている。半額が母の日の行事に使われる。今年は、ふつうの造花会社が作って売り出した、だが、協議会が反発、商標登録までしてあった。


1971(昭和46年)

母の日大会に皇后の姿がなくなった


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